箱根駅伝のコースの一つとして紹介される東京の日本橋。
江戸時代の頃から日本の代表的な橋として有名ですが、なぜ日本橋が日本の道路元票になったのでしょうか?
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「日本橋」は江戸時代から栄えた場所
日本橋は徳川家康が1603年(慶長8年)に全国道路整備計画に沿ってかけた橋です。
始めは木製の橋で、多くの人が橋を行き来している浮世絵を見た方も多いのではないでしょうか?
葛飾北斎の「富嶽三十六景 江戸日本橋」や歌川広重の「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」の浮世絵は有名ですよね。
葛飾北斎の「富嶽三十六景 江戸日本橋」
歌川広重の「東海道五十三次之内 日本橋 朝之景」
この日本橋はかけられた当初木製でしたので、幾度となく火事で焼け落ちています。
江戸時代から明治維新まで10回も全焼・半焼があったそうです。
火事に遭う確率多いですよね。
明治の初めには石造りの橋に架け替えられ、1911年(明治44)に、花崗岩で作られた西洋風の二連アーチの形をした現在の日本橋が架けられました。
現在で日本橋は19代目になるそうです。
現在の日本橋
また、第二次世界大戦末期の東京大空襲で被災した日本橋は、今でも焼夷弾を受けた後があるそうですよ。日本橋に行く機会があれば探してみると歴史を感じることが出来るのではないでしょうか?
日本橋は日本の道路の始まり!道路元標とは?
日本橋に設置されている「日本国道路元標」は国道1号・4号・6号・14号・15号・17号・20号の7幹線が集まっている国道の起点となっています。
この道路元票はなぜ、どのようにして日本橋に設置されたのでしょうか?
日本の道路元標は明治時代と大正時代それぞれ定められていて、明治時代は里程調査のため設けられたもので、大商時代に定められた「道路元標」の前身とされています。
現在一般国道などの起終点で見かける道路元標は、第二次世界大戦後の設置されたもので、驚くことに設置基準は法的な根拠はないそうですよ。
この道路元票、扱いとしては道路の付属物で、記念碑と同じ扱いなのだそう。
道路元票で有名なのは箱根駅伝でも中継される「日本橋」に設置された道路元票ですね。
箱根駅伝でも中継される「日本橋」を見てみたい!どうやって行く?
日本橋と言えば「日本橋高島屋」、「日本橋三越本店」、最近では「コレド日本橋」などショッピングで訪れる方も多いのではないでしょうか?
現在の日本橋は、上には首都高速道路が架けられていて、車で通るときなどは注意してみていないと気付かないこともあります。
日本橋を見たいときはやはり徒歩で向かうのが一番ですよね。
「日本橋」へのアクセス方法はこちら
電車を利用する場合
東京メトロ銀座線・東西線、都営地下鉄浅草線「日本橋」駅から徒歩3分
JR「東京」駅から徒歩10分
地図